kluftroseは快復しないのか日記 2
とりあえずそれ(快復)が目標
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過去ログ
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2022/06/05の薔薇さん
やあ。元気かね
やあやあ。元気です。ノシ
2022/06/30(木)22:51
言葉が溢れていて書くことがない。
保健所等の手続きが待っているので、無理をしないこと。
思ったことより感じたことをなるべく長い文章で書き直す練習をすること。
(昔の文章を読んだら、どれほどTwitterに適応してしまったかが分かった)
自分のしたいことを先の方まで見据えて見つけ出すこと。小説で何がしたいのか、等、表現の分野でできることとしないことを考えること。
定時に寝る体勢に戻ること。
(ここ半月くらいイヤーワームが酷い)
19歳の私を赦してやること。
そんな感じです。
(了)
2022/06/29(水)22:38
・素人の考え休むに似たり。
・ファミレスで昼夜一食を食べてきた。
・散歩はしたけれどカロリーは上回った。
・人の声を聴いて、特に視覚的動きに触れてくるのは、情報が少なすぎる今の私にはいいことだと2回目に思う。
・人のことを気にしすぎる。
・自分の脚とリハビリと復職(可能なら)を考えよう。
・自分のできることはしよう。
・自分のできないことを知ろう。
2022/06/29(水)16:41
気分の良い活動を起こすのが怖い。
そこからの落差が怖いのかな。
人と会って無意識に何日か過活動になると5日程度寝付くという学習をした。
慢性疲労症候群に片足を突っ込んでいるっぽいが、そう思うと抜け出せないしとりあえず歩ける時もあるのだからまだ診断は受けないことにしている。どうなんだろうね、これ。
早いところ線維筋痛症及び慢性疲労症候群を本格的に取り扱える病院に転院して、未然にできることは聞いておく(生活の仕方とか)べきではあるのかもしれない。
24歳くらいの時に生活保護を知人から勧められて(精神の手帳を取った上でのグループホームなどへの家出も)、まだ働けるから、と10年頑張ったツケが今来てるので、最初の上の判断はただの現状維持への安心感に縋りたいだけなのかもしれない。
ストレスが上がって筋痛が酷くなれば車椅子生活もありえる。
(そういえば私も先日『ジョゼと虎と魚たち』のアニメ版を見て、映画版は未視聴なのだけど、18の頃の先生の必読書だった同書を初めて読んだ。ご都合なところもあるけれどそれも込みでアニメは素敵だった。ジョゼが少し羨ましかった)
比較検討というのは大事で、わかる限りで現状のメリットの方が大きいのであれば無理に家出をする必要は誰にもないと思う。
当時の私もたぶんそうだったのだ。
ただその上で、取れる選択肢を面倒でも知っておくという、比較検討材料を知る知恵は必要である。私はそれも怠った(まあ鬱だった)後悔は少しある。基本的に、後悔は瞬時にしかしないし、逃れられない後悔でもなるべく終わりにするし、自分の経験の絶対視はしたくないけれど。
(了)
2022/06/28(火)23:54
そろそろ6月も終わりである。
大事な予定が頭から抜け落ちるほどこのところよく寝ている。床からの暑さで気をつけないと死亡する。
3分おきくらいの下痢の人(私)に対して区役所の福祉関係の方から、行く道30分以上かかるのに、ヘルパー申請が通るか通らないかの医師面談を賭けて、区役所まで行けるかどうかの問いかけが続いたので、わーもうわしゃいい子をやめるぞジョジョー! という判断をわりと冷静にして、返答してお電話を切り、保健所からの仕切り直しのお電話通告などなどのあと、まあ罪責感に追われまくってチップとデールみたいになっていた。
(それでも、如実に2回のチャレンジに失敗した人に対して変わる態度、人の機嫌に動かされるのはもう嫌だったので、本当にいい子をやめた)
最終的には次回の申請に響いたりする可能性を思ったり、赤ん坊にするように、指定した時刻に来れるかなチャレンジを設けられたりして、誰も悪意はないんだろうけど、この生活にはつきまとう「更生」教育だよのう、とほとほとうんざりはしている。身分? それは売るものではない。
がんばってまあ、呼び出しくらって暑い中脚のリハビリ兼ねて、死なない程度にがんばる(あ、2回目だ)であります。一応利用者のこと考えてくれている空回ったシステムだからねえ。←反省の色が見えない。
あと末端の現場の人にそのシステムは変えようがないし、同情を見せようものなら訴えられたりする面倒なお仕事でもあるから、急に冷たくなるあの感じは仕方ないのかな(仕方なくないけどな)。
あとヘルパーさんにとって発達系の人の援助が(事前に医師との面談で得手不得手を確認するように審査が変わる程度に)わりと実りにくい大変なものなんだろうな、とも思った。これはいい学び。
追加で文章に手を入れたらクドくなってしまった。
(了)
※歳をとるごとに、アスペ特有の時間感覚のつかみにくさに苦労をしている。前日2週間前、当日3時間前にはタスクへの用意をしていないと対応ができなくなっている。もちろん、個人差はかなりあると思うにせよ。
2022/06/26(日)18:22
メモ📝
「告発と呼ばれるものの周辺で」
著者名:小川たまか
出版社:亜紀書房
読みかけている。けどまずは他の本。
今日は休養。
通院も場合によってはキャンセル。
活動量をうまく調整していこう。
22:23
除湿にして眠っていたら筋肉の痛みはほぼ感じなくなった。
25:17
この時間になると眠れなくなる。眠れないというより眠りたくないが近い。
何か書きたいのだが、言葉の反射を警戒していてネガティヴなことは書きたくなくなっている。
処方薬効いてきて眠いがたぶん3時くらいに目覚めるだろう。
怒涛に眠いイズ眠い。
(了)
2022/06/25(土)17:56
暑さというより怠さで座っているのがやっと。
たいしたものを食べていないのが原因かと思うが、食欲がないので昨日買ったどら焼きなど食している。
下の階から(?)の輻射熱がすごい。
読書をすることはたまに少しできている。
この暑さだと西方向に散歩はできない。
日傘を持っていないので雨傘を差そう。
一日が終わるのが毎日早い。
通院日も酷暑なので心配である。
夜↓
今日は久々にボイチャができてよかった。
しゃべる私は元気である。✨
😴
2022/06/24(金)24:04
散髪でもしようかと出かけたらなんかマルモクになりました。大したことにはなっていないと思うのでよかったけれど(誰も怪我とかしていない)、コロナが弱毒化してから110番が1.5〜2倍に増えたそうで、鬱憤が皆たまっているのだろうかと思うこのごろであります。
(了)
2022/06/24(金)0:30
3日くらい外に出て動き回っていた。
(主に友人に世話を焼いてもらっていた)
食べ物系の写真には友人が写り込んでいるので写真中広間には上げなかったけれど、普段あまり食べない普通の人が食べるもの(この表現で示せるものも不景気で最近は狭くなりつつあるけど)をしっかり食べた。
頭の中身はわりと記憶の奔流でごちゃごちゃしている。文章を書くコンディションじゃないのだろう。
昨日はクラシックギターの弦の話しを引っ張りすぎてばるさんにウザ絡みしてしもうた。
でも人が使っている弦の話を聞けるのは嬉しいことだ。中高生(19歳まで)時代いかに寡黙だったか、受動型アスペルガーの代名詞みたいだったか思い至って、やれたかもしれないことをやらなかったこと(本当は精神的余裕がなくてできなかったこと。思いつきもしなかったこと)をただ見つめ返した。
私は何も最後までしない人間だ。
昔はやりたいことはとことん持続し続けると褒められたことも何度もあった。
けれどその時でさえ自分の手で実を結んだものは少なかったように思う。
工夫しても良いこと、質問しても無視されないことを、もっと早く知りたかった。
今からでも遅くはないという言葉に、縋り付けないし、私は私の身体と心の調和を求めることだけで人生が終わるのかもしれないなと思う。かつて表現を志した身としては寂しいことだけど、生きて感受するものがなければ書くこともできない。
つまり私はまだまだ自分の面倒を見るだけで精一杯なのだと思う。
終わりが追いついてきても悔いのないように(まあ悔いはあるでしょうが)生きたいと思っている。
※杖をついて歩いたので手が熱くて強張っている。
(了)
2022/06/23(木)10:54
眠い(眠い)。
15:29
1時間くらい前に起きた。
今日は朝まで忙しかったので、お疲れ様の日。たまにダーっと動いて、あと沈没している私だなあ。
(電子書籍で持っている本もあるんだけどやっぱり永井均は紙のほうが読みやすい。なぜかはよくわからない)
2022/06/21(火)6:00
おはようございます。
眠い(眠い)。
https://gyazo.com/942982ad1192b8620aabfe66b508f01e
今日の戦利品。
一番左はパウル・ツェランの詩文集を買い直したことをきっかけに。「夜と霧」自体は20年くらい興味を持っていて勇気が出ないでいるから、このあと(まだ本の列が並んでるけど)読んでみようと思います。
くま子さんの名言botもきっかけ。
くま子.icon『夜と霧』は本当にオススメです。読んでいると悲惨さに目を背けたくなるけど、人間愛に溢れていて所々泣きそうになる(感動に飢えてる人より)。
kluftrose.iconよし、買います。最近、辛いことを回避するのにキリキリマイしている自分の部分について考えていて、なんらかの形で認めてやらなきゃなーというか、そういう時期がやっと来たかな、と思っています。
2022/06/20(月)18:23
今日は頑張らない散歩に出たのですが、全身に脱力感があり(わりと珍しい)、牛歩戦術のような散歩になりました。
それでも少し気分の切り替えにはなった感じです。
薬が効いていて(リリカ、ノイロトロピン)、私は線維筋痛症じゃないのではないかと思うこともあるのですが、こういう時リウマチの親戚なんだなーと思います。
(何年も前の冬などはレジ袋を片手で持てなくて、黒い滑り止め付き軍手をして手すりにつかまって病院通いをしていましたから、行動範囲が狭くて済んでいる分、そこまでの症状が最近出ていなかったんですよね)
今日は嬉しいメールがあって、言葉が通じることが、とても嬉しいなと思えた日でした。
お疲れサマンサ。
2022/06/19(日)1:36
風呂は命の洗濯だ。
2022/06/18(土)4:48
4:15頃、奥側の隣人のドア開閉音で目が覚める。MOLDEXの耳栓を買い足さねばならない(ここに越してきてからネットで発見し、常用、過敏が上がる副作用がある)。
7:07
水の音のアプリや音楽を聴いていて落ち着いてきた。
休日は耳栓にせねばならないかもしれない。
11:31
どうもあかんです。kluftroseです。
除湿をつけると手前の隣人が壁ドゥンしてくるので、しばらく耳栓していたら夕食が3時間半ずれました。
ぼちぼちやっていきますが、discordのほうにあんまり参加できなくなってきました。
2022/06/17(金)6:07
振るわない日々が続いておりますが、朝は目が覚めるkluftroseです。
お腹が空いたけれどこれは水分不足のメッセージのはず。
今日も暑くなりそうです。
低血圧なのでまたあとで書きます。🐤
早めにごはんを食べた(玄米フレークにミルクプロテインをぶち込んだもの)。肌寒いのでお湯で顔を洗って少し目が覚めた。
でもこの時間両隣はまだ寝ている。
(隣人のことは気にしないでおこう)
今日は月一ヘタレ会なので、たぶん遠出はできない。しかし二日続けて閉じこもるのもきついなあ(五日続けて眠ったりしていた人が何を言う)。
読める本から読んでいこう。無理なく、無理なく。
ETHを追加で買わないと手数料が払えないことが判明したので早めに行かなきゃなあ。
あ、今更ですが私が購入したすみっこぐらしの灯りはてんぷらだというのは理解してます。✨書き忘れました。あの文脈だととかげだと思っていると思うよね。
何もかも諦める癖がついている。
2022/06/16(木)6:49
今日は早起きだ。✨
3時間半睡眠だからだけどカーテンを開けて(奥に突っ張り棒でレースカーテンをかけている)日の光で目覚めるようにしている。
気分はいい。
昨夜うっかりスコーンを食べて寝たのを忘れてはいない。✨太る。
朝の定食を食べに出るや否や。
朝からだと情報疲れするので家で朝食に変更。
隣人は扉を大切に扱うことを覚えられないらしい。(8:37)反対の隣の人たぶんちょうど起きる前くらい。(出勤9時)。気の毒に。ドアバンのかた独り言言って笑ってる。丸聞こえなのが変なんですけどね。
反対の隣人は今日寝起きを邪魔されてしまったのか9時過ぎて慌てて出て行きました。
( -人-)
私は母の真似をして「あさイチ」→「スッキリ」→「ひるおび」(本当は朝ドラからですが忘れてました)その後ずっとTBSコースをやってみてます。眠っているよりマシかと思いつつ電気代……。
「awerefy」という認知行動療法アプリが有料コースにシフトして、その後の行方も高額化っぽいので、「毎日まめ」と「セルフ認知行動療法」を使うことに。あとは「試行錯誤」ですね。←このシリーズのアプリ開発者さんいい仕事します。
今日は珍しく今のところ寝なくて済んでいますが、3時間半睡眠なので、頭が重い。
自問自答に最適なのは、自鯖のScrapboxか、「Notion」ですね。まだ使いこなしていないけれど。あと「リズムケア」で毎日の出来たこと記録してます。iOSです。
ほい。不整脈起きて1時間、プラス2時間くらい眠りました。それでも今日はいつもより起きていた。えらい。正直、髪もきちんとしたのに何もできないし外にも出られず、隣の音に心臓痛くて眠っていたので不全感はばりばりあるのですが、ケ・セラ・セラ。
今はすごく自信なくしてます。生活的には以前より動けているんですけれども。
(了)
2022/06/15(水)19:47
今日は隣人が珍しく半日以上いなかったようだけれど耳栓をしていたので損をした気持ちになった。
今日はたまたまバン締めをしなかったようだ。たぶん誤差の範囲。
耳栓をしていても家が振動するので(最高位のバン)。
古本をたくさん頼んだつもりでそんなに頼んでいなかった。一冊はもう持っている本なので、思ったより少ない。
来月も再来月もあるので焦らずリストを見ていこう。
最近はもう全然、普通の日記しか書けない。
もともとそんなである。
2022/06/13(月)6:22
最近はリハビリと休養を特別優先している。
朝活動過活動も、努めて8時間睡眠を優先して、眠れなくてもうだうだ横になっていることにした。
結果睡眠とリハビリが最近は両立してきているように思う。
まだわりと偶々の範囲を出ないんだけど。
それでも日中の食後の眠気のすごさと、筋肉量の全身的な低下からなんだろうか、上体を起こしていることが怠く、横になってしまうことも多い。看護師さんには慢性疲労症候群を疑われているけれど、病院や薬が増えるのや変わるのが億劫で数年くらい放置している。(いかん)
線維筋痛症は自己免疫疾患のひとつで、膠原病の親戚でありリウマチの近縁であり、少しずれると(遺伝子にもよるのかもしれないが)血液のがんになることもあるそうで、ペインクリニックで月一で血液検査はしてくれている。
まあたぶんがんは言い過ぎですが、ストレスフルな人生のなか、親のしつけを内在化した自分を解体し直すことで、自己責任をすぐ取りたがり結局取れないでプレッシャーに勝手に潰れている自分を少しでも生きやすいようにして行けたらと思う。
2022/06/12(日)19:02
今日も散歩のための散歩。
大腿筋が縮んできているので大股でゆっくり歩いていく。
後ろへの蹴り出しも、膝の上がり具合も足りない。しかしゆっくりやるしかない。
カロリーを少しだけ消費して、ドーナツをひとつだけ食べて帰るという太るコースを歩くひと。
2022/06/11(土)10:27
昨日は左足の小指を鉄製のベッドにぶつけ、少しだけ本を読み、あとは横になっていました。
木曜日に4時間くらい本屋で立っていただけで筋肉痛になり、運動不足と年齢をいつも感じます。
今朝は左右の隣人に臆することなく顔を洗い、つられて起き出した隣人がドアバンをして戻ってきたので洗濯機を壊れない程度に蹴り、暴力的だ、更年期か(私)と少しだけ反省し、服薬して落ち着いてます。
明日も顔を洗えますように。
追記:夕方に散歩(リハビリ)に出て、喫茶店で少しだけ読書をし、100均でコマコマと買い物をし、非常食のビスケット等を買って帰る。意外と荷物が重くなった。石鹸とシャンプーも買ったのでそのせいですね。
26:26に目が覚めつつ、昨日(土曜の朝)と同じく二度寝して8時間睡眠を取ろうの民。
結果不眠。朝を迎えた。☀️
(了)
2022/06/10(金)5:37
起きた。
起きたはいいのだけれど、最近睡眠時間が3時間くらいしか確保できていない。
朝日が差してきて起きるとすると、夜9時くらいには眠らないといけない計算だ。
困ったなあ。というぼやきから今日のスタートです。
2022/06/09(木)24:22
歯磨き終わりました。🪥✨
今日は朝一で病院に行ったあとに予定を詰め込んでがんばりすぎてしまって、またゾンビみたいな顔と姿勢で書店内を徘徊してきました。あらかじめ本の予算を出しておけば、迷わず買える、かというとそうでもなく、買う予定の本を買わずに、書店員さんたちが選んで並べてくれた本に一目惚れして買って帰ってきてしまうことがままあり、いつも頭を悩ませて読むような本ばかり買ってしまう自分に呆れたり疲労したりしつつも書店通いを楽しんでいます。
今日は書店のTwitterで宣伝していた本を一冊、わかりもしないのに惹かれる哲学者の本を一冊、前から読みたかった重厚ファンタジーを一冊。
奇跡的に読み終えて書けることがあったら書名を書こう。
鞄と体重と皮の上着が重くて左足首を若干痛めました。(涙笑い)
書店の床でしゃがんで休むから悪いのだ。
(了)
2022/06/09(木)6:19
起きたぜ。✨
昨夜の1:51頃に隣室の扉の轟音が鳴り響いているので、たぶん3時間眠れたらよいほうですが、寝覚めはいいです。
スズメが鳴いとる。姿が見たいよう。
今日は可能なら諸処のためていた用事を済ませたい。
希望に関する本。絶望のあとに希望の仄見える本、希望の種になるような本を探している。
子どもの頃は八重洲ブックセンターを利用していたため丸善をまったくスルーしていた(家族や人と話さないので地理にも疎い)。
山下書店の銀座駅構内店(というのが昔々あって)は学校の帰りに定期を利用して一時降車しては漫画や文庫本を買っていた。
とはいえ中高生時代は学校のある区の図書館利用が多かった。思えば何であんなに荷物を持って帰ることができたのかと(ベニヤ板ケース入りギター付き)若さってすごいな、と思う。
大きい本屋さん行きたいな。
追記:文学を全然読まないから丸善も知らないで二十歳を迎えたわけです。
地名店舗名は自慢とかではないです。
2022/06/08(水)23:36
日記の日付を立ててから、リヴリーアイランドを開いていないことに気がつき、リヴリーたちに餌をやりに行く私であった。
今日の島
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モデルは故・愛犬が分身して2種類いるのと、鳥が青いのはなんとなく。クタクタの青い子はぬいぐるみであるので鳴かないし動かない。
なにかあったことや思ったことを書くのが日記だと思うのだが、ここ数日なんだかそんな元気がない。
早朝に玄関の開閉音の騒音問題で警察のお世話になる(呼んだのは私)。正義感が強いのか建前で圧す主義なのか、口でとても良いことを言いつつ、ナチュラルに差別主義で人の家の玄関と廊下を区切る暖簾を紙挟みでめくり上げようとする失礼な巡査さんだった。
今日も何度か轟音が響く。とても不器用な人なのであろう。閉める時に力を込めすぎるのだ。家が揺れる。
Twitterで記録をつけることにしました。
(謙遜して、通報した私の方が斜めに見られても仕方がないかもしれませんけれどね、と言ったら、異様に輝く目で『はい』とはっきり返事をされ、隣の男性には異様に恐縮しており、帰ってきて隣の人は『がんばっているのでね』という謎のフォローを残して行った)
私の聴覚がおかしいのかは、聴覚検査で褒められたこともないし、絶対音感も持っていないのでよくわからない。
本気で引越しは考えている。
今日は深呼吸で1回の轟音をやり過ごした。
感じないようにするのは得意だが、心が死ぬのよね。感受する力が。
時には愚痴日記である。
夜中にカフェオレを買いにいってきた。
私が男だったら夜散歩満喫するのだけど。
それくらい、落ち着いた時間の街の散歩は好きだ。
(了)
2022/06/05(日)7:53
たぶん1年以上ぶりに朝散歩ができた。あまりびっくりしていないけれどびっくりしている。どっちだ。
小雨のなかの紫陽花
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出掛けてすぐに雨が降ってきたので、10分もしない程度の散歩になったけれど、朝は静かで街もピリピリしていなくて良い。
最近は朝早くに起きていたのだけど、外に出るとなると心のなかに塀があって、なかなか踏み出せなかった。3冊くらい脳や身体の健康に関する本を読み差しているうちに、どの本にも朝に散歩して体内時計をリセットしたりセロトニンを出したりしなさいと書かれているので、渋々(?)実行してみた。
続くかは神のみぞ知る。
朝に戸惑う日々であるが、何かしましょうか。
2022/06/04(土)17:08
散歩のための散歩。
をしている感覚になっている。
感情のほうがついていっていないのだ。
そして、PTSD以降自分というものの通時的一貫性を感じたり信じたりできない状態に私はある(それ自体は治すべきものなのかもよくわからない)。
お腹が空いたので家から彷徨い出てきた。
私が子どもの頃というともう30年くらい前のことになるけれど、その頃はお店の店員さんの接客態度というのはマニュアル化されていなくて、例えばコンビニの店員さんに劇団のチケットをこっそり営業されたりしたものだった。そのぶん、どの店の店員さんにも自分の「言葉」というものを選ぶ自由があったように思う。
今はせいぜい笑顔の作り方や声のトーンくらいにしか込められるものはなく、それも演技であるという前提のもとでやり取りされるものとなっている。
演技なら、しなくてもよいのにとたまに思うこともある(お互いに演技をしていたほうが安全性は保たれるものなのだろうけれど)。
最近はこの辺りで力尽きること多し。
23:23
耳疲れになって、王位継承ボイチャの最後の30分ほどは内容が追えていなかったと思う。早めに眠る予定。
2022/06/03(金)10:13
洗濯のペースがかなり落ちて、普段着の着替えがないので、施設で頂いた上限18歳くらいの可愛いワッペン付きロングTシャツ(寝巻き?)に着替えた。女の子になったような(?)変な気分。
乾燥機は少し衣類が傷みやすくなるので晴れの日に洗濯したいものだ。
最近はあまり日記のネタがない。
ネタにする元気がないのかもしれない。
静穏に過ごしたいという気持ちが大きい。
NASUCUBEさんに教えて頂いた金森修「ゴーレムの生命論」平凡社新書 が届いている。
人形というものの根源まで射程にとらえているNASUCUBEさんの考えはとても興味深い。
(了)
2022/06/02(木)7:52
私の巷に無糖レモンティーブームがなくなってしまったようで、母の仏壇に上げる紅茶の種類に少しだけ悩んでいる。
しらみつぶしに探したわけではないが、最後(?)のレモンティー(これはBOSSなので甘い)を下ろしていたのを今朝頂いた。
きっと気温とか湿度、気圧の関係なのだろうけれど、そこそこ昨日はよく眠れたらしく、横になってしまおうという誘惑が薄い。身体も全体的に楽だ。昨日移動と荷物の重さ共に無理をしすぎたので、今日は休みを挟もうと思う。鬱の人が人並みにいきなりなろうとして、また潰れるのはよくあることなのだけど、人並みでないことに対する罪責感は、こういう表に文章を書く時にはつきまとうものだ。
昨日買った歌集を読めるだろうか。
最近は本を読むこともやっとで、感想は何年も書いていない。これからは書名を出すのは感想を書く時にしようかと思う。
XMDFフォーマットの電子書籍はページめくりに癖があって、少しだけ目が疲れる。利点はめくらなくてもそのままスライドできるので、ページを跨がずに好きな文章を一画面に収めることができること。
ぼーっとしてきたので一時停止。
19:59
夕方少し散歩と階段昇降をする。
帰りに人懐こいプードルが散歩されていて、親戚の家から帰る小学生のように何度も振り返っては私を見ていたのが可愛かった。
2022/06/01(水)17:55
昼まで、紙のノートに色々書きつけて、その足で書店に行った。
持ちもの
Chromebook
アダプタ
新書1冊
文庫1冊
軽い上着
その他荷物
帰り
+単行本2冊
書店に目的の本があったものの色々買いたくなってしまい迷った果てにゾンビのように立ち尽くす、といういつもの行動をし、足を痛くしつつ帰宅してきた。
5月は本をあまりにも買いすぎたので、今月は自重しようと思っている。読みたい詩文集が引っ越しの時の段ボールにしまったままなのではないか、と思うのだが、もはや出しようがない。
今日は無い頭をわりと使った日であった。
架空の文章は特に書けなかった。
ただ、買った本からヒントをもらった気がする。
(了)
今日は早く寝る実験🧪ブクブク……
2022/06/01(水)8:48
今日はお天気と気温の関係で5:30には起きられたので自主出勤(ノマド)(無色透明です)しております。
目玉焼きと野菜、ベーコンとソーセージを食べ、家でできるなこれ、と目と舌で覚える(いや、そこまでしなくても普通の人は多分できる)。そういうことを楽しめること、何も思わずできることができるまで戻りたい。
(入退院してきた時でさえお粥を作っていたのだから)
昨日の夜書いていたエグいことはどう考えても頭のネジが飛んでいたので書くのをやめた。18禁だし。ふんわり書くと、精神的自傷行為なのか好奇心なのか区別がつかないけれど、ある種の動画を見て「迫真性に欠ける」と感想と共にそのことを友達に伝えたら、迫真性があったらドン引きだから、と突っ込まれたというようなよくわからない話である。
ともかく危ないのでもう見るのはやめようと思う。
寝不足ではあるのでどこまで走れるかわからないけれど少し文章に向かってみます。
2022/05/31(火)11:13
保坂和志の「小説の自由」が家の中で行方不明になっているので、「小説の誕生」(共に中公文庫。前者は紙では絶版)と共に電子書籍で購入する。「小説、世界の奏でる音楽」(同上)をうっかり買いそびれるが、こちらはまだ紙のみ。
「小説の自由」の冒頭あたりで、映画の話で男が女を押し倒す押し倒さないの問答があった気がして読み直してみたら、だいぶ記憶と違ったので、もう一度読み直してみたい。
架電☎️😴
26:04
寝る前の服薬が早すぎたためか、夜中のお菓子摂取に走り、ソフトせんべいを食した。
こういうの久しぶりなのでお薬を飲んだら電話などしておらず眠るべきである。
(私の今の第一欲求がお腹いっぱい食べることなのだろうなーと思う)
また際どい話を書きそうになったけれどエグいのでやめておくことにする。
サラッと書いてしまえばたいしてエグくもないけれど18禁になるやもな。
20年前に比べるとわりあいまともなスレッドなどできているのだなという感想と、深入りしないほうが良いという現実とを受け止めるというより捌いて昨日は眠った。
(了)
2022/05/30(月)19:16
三日くらい五体投地していました。
(嘘です寝てました)
過活動になるので、医師に増やした薬を少しだけ減らしてもらって、途端に散歩をやめる私、プラシーボ過ぎでしょう。
これでコーヒーが飲める(ちがう)。
引っ越したと思っていたベタ足隣人さんが帰還して(たまに長い歌を歌います。綺麗な声なんだけどね)、ちょっと落ち込んでいますが、すぐ慣れることでしょう。
書き言葉が三日間かけらもでなくて、戸惑っていました。
睡眠に全ての体力を吸い取られているので、なんとかせねば、と思いつつ、あまり無理なこともできそうにはないですが。
とりあえずお風呂で命の洗濯をしてこよう、と思う私でした。
(了)
命の洗濯、一勝。ヽ(´▽`)/
2022/05/27(金)10:28
長文が多いのでひと月ごとに過去ログ化していくことにしました。
水を差すけれどお湯は差さない。
よくコップの水にお湯を入れようとして母に怒られていたのですが、これもまた上の文章を作って唱えることで間違えないようにしている。(ちなみに畳の端は踏んでしまうダメ人間です)
日記を分割しにきただけなのでしばし本に戻る。
やあやあ。ハローベイビー
やあやあ。やあ。
hrを間違えたところに貼っていたのを直した。
2022/05/26(木)23:42
風は便りをよこすが、噂は立てない。
(よく間違える表現を区別する文を作るのが少し好きである)
ということで風の便りで天野可淡の初期作が「開運!なんでも鑑定団」に出たというのでTverで該当部分を観ていた。
はぁーいいなあ。そして幸せそうな出品者さんの気持ちがよくわかるので観ていて嬉しかった。当時このヤフーオークションは見ていたと思う。手の届かない価格に指をくわえて最後まで見送った。普通、買い取った人のことはわからないものだけど、スズメの供養を絵に描き込む優しい人のところへ行ってよかったなあと思う。
今日は起き上がることができて、その上動けたので無事に通院をしてきた。本屋には寄らないと決めていたのに、新刊チェックをしよう、と自分を甘やかし「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」多和田葉子(講談社文芸文庫)を購入して帰る。普段買わない高級文庫を買っている私はまだ衝動的なのかもしれない。多和田葉子さんの「シュタイネ」(青土社)が欲しいのだが、今はもう畳んでしまった書店で買い逃してからまだ買っていない。そして最近本は借りに行けずに買ってばかりいる自分の生活の仕方についてふと立ち止まって物思う。
ダイソーの550円の電子メモパッドを買ってみた。まず使い勝手がわからないことには悩んでも仕方ない(discordのほうの『なんでも大広間』で過去にひとしきり書き込みをしていた)ので、入手してみた。
思っていたよりもかなり私にとっては使いやすそうなので日々持ち歩いてみようと思う。手に脱力が出る日でもスラスラと書けそう。
ここ何日か感情を表現はできるものの残るものや感じるものが薄く、情緒的な記録は特に思い浮かばない。記憶はあるのでそのうち、忘れないように記そうと思う。
(了)
2022/05/24(火)24:11(3)
何度も浮上してきて申し訳ない。
ウォークマンに曲を入れるために一代前のノートPCを立ち上げて、ついでに五つくらいの自分がiPhoneで撮った動画を移してみた。
犬の名前の動画が三つあり、そのうち「お家で」とタイトルのついているファイルをウォークマンで開いてみた。
犬は携帯を怖がってお腹を見せて耳を伏せているが、やがて落ち着いてきて、私が耳の後ろを撫でてやっているのが映る。それから犬は伸びをしながら画面の右に尻尾を振りながら歩いていく。
そこにはノースリーブで洗濯物を畳んでいる母がいて、チラッとこちらを見て笑うと犬に話しかけている。そのうち犬が洗濯物の上を登って母の膝に座ってしまうので母が大笑いしているところで動画は終わっていた。
笑いながら泣いた。
他にはお祭りの動画と、姉と犬と散歩をした動画と、姉とスーパームーンを写真に収めようとそこらまで出かけた動画が入っていた。
祖母の小さな庭も、母の後ろ姿も、姉越しの母と犬も、写真に収めていた。
父は動画なんか撮られたがらないので、今度こっそり映してやろうか、と考えるも此れ彼の遠さに躊躇いをおぼえる、なんだか混乱してがんがんする頭を抱えつつ、寝る支度をする。
(了)
追記:あとでイヤホンをつけて大音量で観てみたらきちんと声も入っていました。そのうち姉に送ってあげよう。
2022/05/24(火)19:14 (2)
20:40
日記を書こうと思ったのだが、重めの解離状態に突入していて言語化できることが少ない。いつもA6サイズのノートを鞄に入れっぱなしにしてペンと共に持ち歩いているのだけど、最後に使ったページに、実家へ看護に行った時に貰った誕生日ケーキの賞味期限シールが貼ってあり、この日にはまだ母が生きていたなと思い、さらにぼんやりしている。
今日は予定を色々中止にして、身体を休めていたのだけど、そこからさらに悪いほうへ状態が推移したので、うまく制御できなかった感覚が残る。しかし、無理して動いて出先で固まっていたりするよりは傷が浅かったかもしれない。
あまり重く捉えないように。私。
(了)
2022/05/24(火)3:51
相変わらず夜の眠りが浅い。
2:30くらいに目が覚めた。
その勢いで国会図書館のデジタル閲覧サービスに申し込みをする。
無くしたウォークマンの中古を散々迷って注文する。ノイズキャンセリングがないと生きていけない民なので、オーディオテクニカの電池式ノイズキャンセリングイヤホンまで行方不明になったのは痛かった。
(なお両方ともどこで無くしたのか不明。おそらく外ではないはずなのだけど)
ノイズキャンセリングで検索すると無線の小型イヤホンが大量にヒットするようになって探しにくくなった(中にはノイズキャンセリング機能のないものも上がってくる)。
単なる愚痴になってしまった。
このまま起きていたほうが無難なのだが、ここ一週間過活動気味なのが気になるところ。本格的に私の電池が切れると困る。
また書くやも。
2022/05/23(月)9:52
早朝に起きたまま、一年ぶりくらいにまともに下地から化粧をして自主出勤(ノマド)をする。とはいえお粉ははたいていない。下地の上にBBクリームと眉墨だけである。のり弁みたいな眉になる。眉用の粉を買わねばならぬ。
マスター・オビ=ワンに教えていただいて発売した頃に買った「天才による凡人のための短歌教室」木下龍也(ナナロク社)を再読している。 ”短歌は過ぎ去った愛を、言えなかった想いを、見逃していた風景を書くのに適している。それらをあなたがあなた自身のために、あなたに似ただれかのために、結晶化しておくには最適な詩型だ。記憶の奥にある思い出せない思い出を書くことには最適なツールなのである。“
という前文に痺れる。というよりそれを心してみようと思う。私はあまり短歌に向いていないと思うのだけれど(生きる勢いが足りないというか)、詩はいいよ〜と言うマスターの見ている景色を少しでもみてみたいものである。
さてお仕事お仕事。
(お話を書く練習)
※いつまでも言うのはどうかと思うのだが「オールナイト虚無」リスナーだった頃、ボツ短歌を送ってくる木下さんが面白かった。ボツでも面白かった。恐山さんとにぅまさんのほわほわした雰囲気と、リスナーの脱力系投稿を読む時間は私にとってかけがえのない時間だった。
さてお仕事お仕事。
2022/05/23(月)3:38
夜中に突然前髪を切り出す民。わたくし。
わりと不吉っぽいと思います。
そして明け方に眉を剃ってシャワーを浴びる民。わたくし。アパートの皆々様においては大変ご迷惑をお掛け致します。昨日コーヒーマグカップ一杯飲んだからかな。衝動的日々。
2022/05/22(日)19:48 (2)
18:00くらいになってから衝動的に着替えてともかく歩こうと外に行ってきた。ありがたいことに耳疲れも起こしていないので車のタイヤの擦過音もあまり気にならない。
Tシャツ2色取っ替え引っ替えが少し恥ずかしくなってきたのでワイシャツにいつもとは別の豚皮の革ジャンを着て出た。全然ウォーキング向きではない。
https://gyazo.com/09c8df0411f7f8ae7fa20caaacc63462
道端の花。
綺麗なウォーキングの方法は高校の時に体育の先生が、肉付きの良い男性なのにセクシーに歩いてみせて教えてくれた。
私はまだ左右によろよろするのであまり無理はしない程度に、いつもより速めのペースで歩いた。
ずっと長距離を歩いていないのに、脂肪は燃料なのか、いつもよりしんどくなく目標地点に着くことができたので嬉しかった。行く道々、詩のことを考えていた。
20代の頃、葛飾区立石にあった女性センターにカウンセリング目的で通う道すがら、いつもひとつ詩を思いついて、家に帰るとそれを自分のHPにあげていた。当時箸にも棒にも掛からなかったので、今もやっぱり同じだと思う。 ただ、私自身は楽しかった。
当時webに貞奴さんという方がいて(今も翻訳等されているのだったか)その人の影響で散文調の詩を書いていた。 「ウェイストランド」という雑誌に応募して、渋谷のビルの屋上で打ち上げがあり、谷郁雄さんに感想を無理に聞いたりしてました。 さて今が問題。
帰りにメモ帳とTodoリストメモを買った。
もう年齢が年齢なので、なるべくこまめにメモを取るようにしようと思う。思えばアルバイトをする時もいつもしっかりメモを取るようにしていたのだった。やればできる。今は。
(了)
※「ウェイストランド」刊行にあたって
2022/05/22(日)17:36
kluftrose起きる。16:30頃。
お腹が空いているようなのでスコーンと、インスタントコーヒーを飲む(スコーンは飲まない)。
飲食したら途端に汗が出てきた。
代謝が悪いのう。
最近、なぜか日記をつける欲が湧かなくなった。何事にも飽きやすい性格なのだろうか(続くものは何十年でも続くけども)。
疲労感が少し増している。
眠っているためかと思われる。
コーヒーうまい。
かゆ、うま。になりつつあるような。
朗読聴きたいけれど、早寝を目標にすると23:00には寝なければならない。
のでいつも迷った末眠る準備をしている。朗読部のファイルを聴かせてもらおうかな。
ともかくなぜだかとても疲れている。
疲れると書くのは好きではないのだが。
頭を使う分お腹の脂肪が減ってくれると嬉しいこのごろ。餓鬼のような体型になりそうである。
また書くやも。
一度消した修造本の表紙写真を戻す。
ルールをよく理解していないのであった。
2022/05/21(土)25:05
今日はメモだけ。
「圏外編集者」都築響一(ちくま文庫)を買う。若い頃、都築響一いいよね、とネット友達の間で言われていたけれど、彼の仕事にちゃんと触れるのは初めて。帯文に惹かれて購入。買わずに帰りかけるも自分の勘は信じろ、と思い直す。今から何かになることはたぶんしないと思っていたほうが安全だけど、編集という行為には実は若い頃は興味があった。勇気と喋り言葉が足りなかった。
(了)
2022/05/20(金)6:36
歳を取ると睡眠が短くなるもので(たぶん違う)4:30から起きている。朝っぱらから中谷美紀のベスト盤を聴いている。ドラマ「ハルモニア」あたりが印象に残りはじめた頃だけど「ケイゾク」は外せない。しかしずいぶん堤監督の作品を観ていない。「TRICK」あたりで堤節に飽きてしまって「SPEC」は観ていないが、今観ると逆に懐かしく思えるかもしれない。
(楽しむことが上手い姉はしっかり観ていた)あの急にシリアスになる感じは嫌いではない。「ぼくらの勇気・未満都市」が一番好きだったりする。堤監督は姉に教えられて「金田一少年の事件簿」「クリスマスキス〜イブに逢いましょう」から観ていた。「金田一〜」は犯人が大体死ぬのが嫌だったけれど毎回観ていた気がする。
「永遠の仔」のドラマが終わった頃、恵比寿ガーデンプレイスで、坂本龍一と半野喜弘、中谷美紀が出演するコンサートがあった。シングルの帯を送って応募する形式だった。今でもあの時のコンサートの模様を録画したDVD(当日会場で抽選があった)がほしくてたまらない。中谷美紀さんは私にとっては中谷美紀ちゃんなのだけど(生まれは中谷さんが二つ上)、コンサート中涙ぐみながら「永遠の仔」のテーマソングを歌っていた、茶色っぽいショートヘアの姿が目に焼き付いている。半野喜弘のサントラも持っている。
朝も早よから思い出話の私でした。
2022/05/19(木)19:37
朝早く起きて(偶々で、3時間睡眠くらい)読み終えた本のメモ取りをNotionにしていた。今日は調子が良いのだと思っていた。夕方から精神の雲行きが怪しくなってきた。 細かく揺れすぎな日である。
理由はよくわからない。
食後で頭も働かない。
日記日和ではないみたい。
2022/05/18(水)20:50
やはり、人と一緒に過ごしたあとはかなり疲れるようでした。気温が急に下がったのもある。
食後に好物のコンビニスコーンとカフェオレを飲食する(ん? 前後逆かな)。何かを食べる時にいつも思うのは、家族と食べていた頃より楽しくないということだ。味もあんまりしない(元々味音痴だけれど)。
いにしえは父を交えて、一つ古い記憶は帰省時に祖母も共に、すぐ近くの記憶は母や姉と。
元々食に対しての関心がかなり薄い私にとって、子どもの頃から食卓で母が私の食べるのをじっと見ていて、私が「おいしい」と言うとやっとにっこりする時間は苦痛だったのだけど(今でも飲食をする時に緊張で左手をギュッと握ったままにする癖がある)、母が家族関係がどうあれど、食卓を囲む時間をなるべく共にしようとしていた往時を思うと、そうした記憶を残すことで後の私たちの孤独をささえようとしてくれていたのかもしれない、と考える。晩年聴いた話によると母も大きな孤独を経験し続けた子どもだった。
そんなことをふと思い出していると、「太る」という脳内警告に「楽しまなきゃ」という母の遺言のようになってしまった言葉がきらりと光った。
(了)
追伸:「書けよ✨」のノート、まだ真っ白です。
追伸2:Notion使って読書メモを取ってみる。指定すれば目次が作れるので使いやすい。 2022/05/15(日)21:08
今日は(?)睡眠で疲労を取った。いつものように2日や3日引きずることはなさそうに思う。
純粋理性批判入門イベントをさぼって「四季 春」森博嗣(講談社文庫/電子書籍版)を読んでいる。頭の中を空っぽにしてひとりになりたい時に最適な本だ。紙の本も持っているのだけれど、片付けの際に私ではない人に頼んですべて本を壁際に寄せてしまったので行方不明。自分でやれば大体どこかはまだ覚えていられるんだけれど、手伝って頂いたのがとても助かったのでそれは仕方のないこと。
今日は日記も頑張らない。
22:01 引用
僕の心は、普通なんだ。どこにも異状はない。躰のせいで、心までも縛られている。生まれてからずっと縛られている。
「四季 春」森博嗣(講談社文庫)
22:27
37%まで。早めに切り上げよう。
(了)
2022/05/14(土)24:44
体力的にぎっとぎとに疲労した。
移動中に4回古本屋に行って、今日も帰り際に2時間くらい目を皿にして棚を見てきた。合計2回に分かれたお会計で100円棚から3冊、お店の中の棚から1冊。はあーお金があったらこの本買うのになあ、とうっとりするような本もいくつかあった。先日の修造も居た(ファンの方に怒られる)。
自分の体力のなさ、物事の継続性のなさに情けなさ(NASAじゃないよ)を覚えるが、今はジリジリと進むより他なし。
「現代思想入門」千葉雅也(講談社現代新書)まで戻りたい(もっと言うとその前に読んでいる新書もある)し、「純粋理性批判」読書会にもきちんと参加できていると言えるか疑わしいので、私のなかの「ちゃんとしなきゃ」病が頭をもたげる。
(そしてふとした時に、母の簡易仏壇のお線香の香りが、鼻に届く。少し酸味を加えた白檀の香り、って表現は少し違うのでは)→桜の香りと白檀の香りが混じった感じです。
私の日記をふたりくらいの方々に「文学的」と評して頂くも、自己や周辺のことを話題に選んでいること、よく推敲していないことを思うと、むしろ申し訳なくなる。謙遜しているのでもなく、自己卑下しているのでもなく、決まった文字数の文章で本気を出したことが19歳の頃一度きりの私にとって、書くことがいかに回を重ねていく経験なのかを少しだけ見知っているがゆえに自分はまだまだ全然届かないし足りないな、と思うのだ。
(辞書持ってないし)←自慢になってない。
ただこのページができてから、少しだけ長い文章を人目を気にせず書くことができて、私のなかで落ち着いてきた部分がある。Twitterを見る回数が減ったために、友人の犬投稿や、尊敬している人の鳥たちとの日常を見ることがあまりできなくなったけれど、今は人の生活を見て慌てるよりもずっと大切なことがあると感じる。
できれば自家中毒にならずに続けて行きたい。
(了)
2022/05/14(土)7:11
朝も早よから日記中毒、kluftroseです。
まだ昨日の話題を引きずっているが、私は人間ポジティヴもネガティヴもなく、それらが曖昧につながりあっているグラデーションがあるものだと思っている。
なので他人のネガ・ポジをそう割り切れない。あるとすれば自分が不快か、快か、関わりたいか、関わりたくないか、だろう。
話転じて、誰かのために一所懸命になれる人というのは責任感の強い人なのだと思う。そこに自己の判断がきちんと挟まるかどうかはなかなか難しい。私も流されやすい人間である。人の相談を聞いているうちに自分でもそれらが問題のように思えてきて、結局表立って動くのは私(あるいは相談を受けた住人)という例が過去にもあった。
その時、出来事の関連の内部を見ていない人から見れば、代表者=その意見を持った人になるのである。相談、あるいは運営の内部は参加者には見えないからだ。私は自我が薄い人間だが(これだけ私、私と書いていると理解は難しいと思うが、自分がどうしたいとかいう欲求は本当に薄い。どうしたくないかだけしかない)、共感性の高い人もこれに当てはまると思う。
動く時にその責を自分で負う覚悟があるかどうか。それが軸足のように肝心なことだが、すべてを自分で抱え込む必要も本当はない。
けれど動いた結果悪く出たとして助けを求める時もそれは自分を主語にしなくてはならない。仕方がなくこうした、だから自分で決めたことではないことで迷惑を被った、という結論が出るなら自分で動くという覚悟が足りなかったと言える。
すべては言葉で書くほどうまく行くものではないから、私の上の言葉は理想論でしかない。
終わったことでいつまでも人を責めているようで私もしつこい。
ただ、一歩を踏み出す前に、自分の決断を自分のものと思えるかどうかは自問自答したほうがあとの傷が少ない。
私は、上のことより、断り方、というものが本当は肝心だなと思っている。いつかいい本があったら読書会かそれをテーマにした意見交換会を開きたいくらい、断る方法というのは大事なもののように思う。
本当は自分がしたくないのに他に誰もいないから背負った、という場合が一番傷が深い。
今の運営には苦情申立て方法が複数設置されているので、昔ほど上にくどくど書いたようなことは起こらないにせよ。
愚痴をこぼしつつ、相談を交わしつつ、支え合いながらやって行くことも時には必要なのではないか。それらの助けを当たり前と思い、堰を切ったように深い闇が出てくるような時にどのように包括していけるのか、あるいはしないのかは、個人の判断を越えることとも思うし、冷たくもその場で判断せねばならないのが個人だとも思う。
(了)
2022/05/13(金)24:34
私は瞬発的には感情的な白黒思考の人間で、長期的に拘って考えることに対しては考え直して行くということをする時もある人間であり、その時の変化の仕方はわりと外から見れば都合がいいと取れるほどの振れ幅があるんじゃないかな、と思う。
論理の主体に立っていない、論理展開する時に自分がどこにいるかを描き込んでいない、と歯磨きをさっきしながら思う。
でもそれは正しい自己評価だろうか?
わからない。
書きたいことが明確に描けない。夜も遅いしお腹が珍しくいっぱいすぎて胃に血が行っているのでは。
無理に日記を書こうとしなくてもいいのだけど。
このところ4号室のトラウマについての最適解を自分で出したとしてもそれをアープラと共有できる気はしないので何とも据わりが悪い。 所詮私は世の中で言うところのメルヘン畑の人なんだな(違うけど)、と思わなくもないし、人生の経験則や経験の違いというのも考える。これに正解はないから人から柔軟な意見を言ってもらって聞くことができるのだし、私の人生が誰かの正解だとは思わない。
たぶんあれらのことで一番傷ついた人というのはみなだし、同時に今ここにはいない人たちであろう。
私は自分の振る舞いに肝が冷えるだけで傷付いてはいない。そもそも外野なのだからね。
自分にとって、誰かにとって、気持ちの悪い世界がすぐそこにあったとして、正しさではそれは裁けない。私自身は、すぐに、他の誰かの正しさを守るために誰かを裁きたくなる人間だけど。
自己矛盾だなあ。
(了)
他、「ネガティブ発言」や「愚痴」などのトピックについての連想。
2022/05/13(金)8:12
朝チョコレートピーナツを食べ、服薬。
決まった時間に服薬できないとわりと落ちつかないタイプ。
(朝食はたまたま手元にない)
凡庸な日々を忘れないようにこうして記録することに少し中毒しているように思う。
私はいつも決まった道を通る癖がある。たとえそこで何度嫌なことがあっても、他の道を通ることを思いつかないし、思いついても結局同じ道を通るように戻って行く。
これは喩え話ではない。
私の主観的に嫌なことが通り道で続いた日々があった。そのあとでさえも通り道を変えないという自分の習性に、ある日ふと気がついた。
中高生の頃、友人たちがパン屋に寄り道をして帰るというのを、断って先に帰った。これは母が連絡をしないで遅くなる娘をよく叱っていたことにも起因するし、当時は公衆電話とテレホンカードしかなかったし、もともと電話嫌いだからというのもある。
粛々と親の真っ直ぐ帰れという言い分に、古本屋や本屋以外は従っていた。
拘りって自覚できていないところに出ているなあ、と、ふと思い出したことを記した。
「シン・ウルトラマン」観たいなあ。
(了)
2022/05/12(木)10:54 (2)
古書店に古本が溢れかえっていてあまり100円にならない「1Q84」村上春樹(新潮文庫)が1巻を除いて100円になっていたのでつい買って移動している。
しかし風呂に入る時間である。うっかりした。
2022/05/12(木)6:12
ねもい……😴
私は受動的で無口なせいか、中学生の頃から顔見知り程度のクラスメイトから相談をされることが多かった。
似非フロイト的に分析すると、母親が嵐の人だったのと、日本舞踊を習う場所で(私は名取さんになるほど努力や才能はなかった)おばあちゃんたちに囲まれてただ相槌を打ちながら話を聴くということを無意識にやっていたことが遠因かもしれない。
みんなそれぞれ自分で答えを出してもといた場所へ帰って行ったし、そのことを特に寂しいと思ったこともない。
(ある程度長い付き合いの、友達だと思っていた人に去られた時にはお互いの状態も悪くて擦過傷が残ったけれど、それは私が見捨てられたくない状態のどん底にいた時だったからだけのこと)
19歳の頃、精神科医の運営する、心のためのメーリングリストにいた。その時の参加者たちのメールをたくさん読んだり返信を一所懸命書いた経験もあるし、私自身が他の誰にも救えない状態に何年もいたことがあったからか、私は人を変えるということに対してほとんど諦めに近い考えを持っている。変えなきゃならないとも思わないし、関わる時には自分のエゴなのだと思うことにしている。
自分で考える力を持っていて元気のある人には、たとえ間違う可能性があるとしても説教めいたことを言うこともある。これは40を越えてあえて実体験から言えることは言う老害であろうと思うようになったからだ。今伝わらないてもいいし、伝えた考えが選ばれなくてもいい。
元気のない人には求められない限りアドバイスはしない。私自身が人に言われて動くことができるほどに元気がないから、私を動かそうとする働きかけそのものに、プレッシャーを感じるからだ。それから私自身が、現在、人を守ることができるほどの元気や生命力が足りていないからもあると思う。
どんな状態の人もいるのが許されて、ゴロゴロしている縁側を支えられるだけの力が本当はこの国や社会にはあると私は思う。ただそれを無くすことで得をしたい人が、たぶん上の上のほうにいらっしゃるのだと思う。
奴隷と奴隷が鎖の自慢をするように、私たちは互いの首を絞めて行くしかないと思わされる。しかし、そうしない人もいる。
二項対立ではなく三つ目の場所を私は探したい。
(了)
2022/05/11(水)23:04 (2)
また、人にはスルー機能というのがついているのだ、ということを忘れて、加害妄想に陥っていたので、とりあえずいつも通りに日記を記す。
これがひょこひょこ上がってくるの邪魔ですよー、とか、アープラノートに適さない、という意見が出てきた時にはまるごと別の日記サービスに移動しよう。
とはいえ、副鼻腔炎ぽさと、喉の軽い痛みがあるので、今日は寝ようと思います。
なんでも大広間の連鎖リバースごっこが楽しかった(笑)
(了)
2022/05/11(水)5:35
最近の私は刹那的で(だいぶ本を買いすぎたり)衝動的だなあと感じていて、それは私の経験では危険信号なので、車に轢かれたりしないよう気をつけたい(人生で既に3回車に跳ねられている。勿論故意ではない)。
またもや昨日コーヒーを飲んだせいなのか、目がぱっちり冴えて眠れないので部屋に差す薄明かりを眺めて考え事をしていたけれど、諦めてカーテンを開けた。
今朝の音読をすると隣人がびっくりして起きる壁の薄さなので、隣人が仕事に行く時間まで本を読むか散歩でもしてこようかと思う。
毎日ファミレスのドリンクバーでは生活費が持たないので(寝込んでいて毎日は行かないものの)、保温水筒(?)にコーヒー(、カフェインだめか)もとい温かい飲み物を淹れて持っていく癖をつけようか。ミントティーなどいいかもしれない。昔に㍕🐤ちゃんに教えてもらったルイボスティーもある。 (レムちゃ、半角上付き下付きどう出すの)
5/18コピーした。「に」が消せません(笑)
今日が期限の図書館の取り置き本があるため、体力を温存しておくべきやもしれない。
コーヒーだけが原因ではなく、増量したサインバルタ(抗鬱SNRI)60mg、母の死後の悲嘆の段階、そこに加えてのコーヒーハイが相乗効果を起こしているのだと思われるので、医師にもう一度要相談である。
たぶん今読んでいる本のキャパシティ的に読まないが、エリザベス・キューブラー・ロスの本に今更興味が湧いている。私自身の老いの否認のためにも。(甥の避妊ってなんぞ。まあ男性が積極的に避妊をするのは出産計画がない時は大事だが)
焦燥、刹那。身近で大切な人を亡くすと、うっかり、自分も早死にするような気がするものである。これは祖父の時に経験済みである。しかし私は80までは生きて火星に行くのだ。
(了)
2022/05/10(火)深夜3:00
なにか、書きたいことがたくさんあると思うのだけれど、最近具合が悪いのと、休んでいる時間の多さで考えて書く時間が確保できておらず、反省する。
とはいえ夜中にまたチョコレートに手を出しつつ冷たい手で起きていても仕方ないのだけど。
https://gyazo.com/e5cd6987d73ff78d78751c375c39a152
うっかりコンビニで沼にハマった。
母が亡くなる前に、ゼリー付きのすみっこぐらしグラスを買ってくれて(実家用)、集合絵のなかのどれが兄弟でどれが私で、などと遊んでいたのだが、「お母さんはどれがいい?」と聞いたらたいそう迷った末にウサギにしていた。おばけは腰エプロンをしているので祖母にした。
前からすみっこぐらしのとかげには縁があったのだけど、なんとなくすみっこぐらしだと買いそうになる、が母を亡くしてから続いている。
ファミレスでお子様用の棚で立ち止まり、オカメインコだのキーホルダーなどを見ているよい大人は私くらいだろう。
何か書くことを思い出したのだが忘れてしまった。明日も朝日を浴びるべく床に就くか。
(了)
2022/05/10(火)16:24
3日くらい死んでいた(比喩)イメージなのですが日曜日に日記書いているな。
今日は看護師さんから訪問前の電話があるまで干物になっていました。昼過ぎまで服薬、食事もできず。眠くて仕方がない(早く寝たはず? なのに)。今は眠気は治りました。
電池残量29%。電源のあるところに滞在しているので持ち歩き用アダプタを買っておくか(一つ、前に無くした人)。
看護師さんに家を出るところまで見守りしていただき、用事を済ませる。人が先に帰ってしまうと、家の中で不意に脱力するので(ちゃんと定位置には戻る。ルンバか)。
ゴールデンウィークはわりと人としてダメでしたし、朝の挨拶に「なんでも大広間」に来ていない時は大体ダメですね。
横道誠「イスタンブールで青に溺れる」(文藝春秋)、市川拓司「発達障害だから強くなれた ぼくが発達障害だからできたこと 完全版」(朝日文庫)前者を買いに行ったら後者が隣に並んでいたので衝動買い(一応中を確認しつつ)。
山口 謠司「心とカラダを整える おとなのための1分音読」(自由国民社)が気になりつつ本屋を出る。
昨日書いた本に、朝の一分間くらいの朗読が脳味噌の働きに良いと書いてあったので、簡単に影響される私であった。
校正のお手伝いをしたのだけど、まだまだ抜けているところやこだわりどころがあって、改めてきちんと勉強しなおして、重ねていかなきゃなあと思うこのごろです。
(発達障害の人のポジティブ記を読むと落差に落ち込む私ですが、全体的に見て活躍している人でも苦労をしていることも記してくれているので、参考にしたいな、と思います)
(私はおそらく注意欠陥優位(AD)のASDっぽいですね)
あ、上記本のイベントが明日・11日(水)19時〜20時半に代官山蔦屋書店とZOOMにて開催されるそうです。
【代官山蔦屋書店】横道誠著『イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)刊行記念「横道誠×斎藤真理子 脳の多様性がひらくワンダーランド」
(全身の筋肉が運動不足でバッキバキです)
(了)
2022/05/08(日)翌朝の3:51
固まって眠れないので、「カタトニア」や「フリーズ」などで検索をしていて、「脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める」築山節(生活人新書)という本にたどり着く。
高次脳機能障害を扱っている医師が書いた本で、自己啓発本のようなタイトルのわりに書いてあることは質実剛健(本当か、単語が浮かばなかっただけでないの)。
まさに今私が陥っている生活の状況が「ボケ」を生んでいるという内容なのだが、説教臭いところも急かすところもない。
しかし先月から本を買いすぎだなあ。
(この本はたまたまKindleのセールで買いました)
寝ねばならぬ。
(了)
2022/05/06(金)13:21
5:30くらいから過覚醒状態が止まらず。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感覚。自分の地雷をなにか踏んじゃったかしら? よくわからない。体力があれば何かに集中して取り組むのだけど身体は横になりたがっている。しかし目はぱっちり。
困ったもの。
19:25
少し眠ることができて過覚醒が治まる。
「大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした」クルベウ(ダイヤモンド社)
私にとってクリティカルな本ではなかったけれど、読んでいるあいだ心が安定する感じがあった。
(あ、ごはん食べます。食べたくないけれど食べようとした。えらい。)→帰還。19:46
インクの匂いと絵が好きで、印刷のカラーも柔らかい色で、気に入った。私はつま先立ちで浮き上がりそうな精神をしているので、気分が落ち込んでいる時は清い本より平易な言葉で書かれた穏やかな本のほうが合っている。またパラパラと見返すことがあるだろう。メモしておいて持ち歩くと良さそうな助言もあったし、最後の頁が心に来る。
(そういう点では『クリエイティヴ・ライティング』ナタリー・ゴールドバーグ(春秋社)は最適な本。→『魂の文章術』と改題し復刊→『書けるひとになる! 魂の文章術』として更に復刊、加筆修正)
「ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論」1巻 松岡圭祐(角川文庫)は、文学音痴の私にとって、いろんな入口を教えてくれそうな本。松岡圭祐さんはかなり意識して、勉強ができなかった人が好奇心を持つような話題を小説のなかに振り撒いてくれていると思う作家。初期のシリーズものでない本を一冊(プログラマーの話だったかな)かなり印象に残しているのにタイトルをすぐ忘れる。愛読者というほうではない。
明日も寒くなるようで、私は今日、昨日動いた分の細かな筋痛を感じていたので昼分のお薬(リリカ75mg)を増やすか考えていた。
今も疲労感が大きく、特に上体が億劫である。
医師から薬の数を、私の判断で増やせるように処方していただいているので、しばらくそうしたほうが良いか明日から試してみよう。
お薬嫌いな私からすると増えるの嫌なんですけど、いつも処方量服んで服み忘れはしないです。
ということで書きたいことはいっぱいあるけれど、今日はお休み。
(了)
2022/05/05(木)22:53
15:30頃に何度目かの目覚めを迎えて、また今日も夕方まで寝てしまったなぁ、と少し痛む腕の血行を良くするためにさすりながら思う。外はまだ明るい。
自販機に飲み物を買いに行く、という短いチャレンジで自分を騙して、もう少しだけ遠くまで行く、ということをしばらくやっている。今日はその自信がなかった。しかしやってみた。
自販機には向かわず、夕飯を食べる気を無くしそうなので今のうちに何かを食べようと、考える。ついでに非常食(宅配お弁当以外の食べ物)を買うならこのコース、と足の向くままとぼとぼと歩いた。
左の股関節が動き出しにしばらく軋む。
歩道で明るい茶色のテントウムシが、踏まれて死んでいたのが目に映って、なんとか苦労して拾い上げ(滑ってしまうので木片を使った)、街路樹の下の土の上に置いておいた。踏まれ続けてこの綺麗なからだがなくなってしまうこと、よりも、誰の目にも入らず土に還りにくい場所で踏まれ続ける死骸が気の毒に思えた。
結局頭と足が勝手にパンケーキを食べることにしたらしく、それに任せて移動し、途中で虫除けを買った。パンケーキといえば「バージンパンケーキ国分寺」雪舟えま (集英社文庫)が思い浮かび、池袋時代にサイン本を買っておくのだった、までをセットで思い出す習慣が自動再生されて、池辺葵の表紙になった文庫本もいいよね、と思って勝手に幸せになった。予算が出たら買おう。
kluftrose.icon「たんぽるぽる」が復刊してそこに「地球の恋人たちの朝食」が少しだけ入っているのを神保町からの帰りに横目で見て帰ったんだけれど、と検索していたら、本体がPDFで販売しているしセール中ではないですか! びっくりして短歌を愛する名無しさんにメッセージを思わずしました。これは確か日記か詩のような感じだと思うのですが。
ななし.icon𝐓𝐡𝐚𝐧𝐤 𝐲𝐨𝐮.
👍✨
パンケーキ屋さんでは、コーヒー豆にも凝っていて(むしろおそらく元々はコーヒー屋さん)、色々なコーヒーが楽しめる。私はだいたいいつもお値段下から数えて選んでしまいますが。豆も買えます。
パンケーキは、お腹の空き具合を考えて(空腹感はないのだけど)バナナ付きのものを頼んだ。飲み物はストロングコーヒー。そして食後に少しだけ気持ちをゆっくりするためにポットでダージリンを頼んだ。
このお店は器をしっかり選んでいて、コーヒーの時のざらりとした焼き物のカップ、紅茶の時の絵付けと金彩の綺麗な薄口のカップが、飲み物の質感を変えていた。
そういう経験もずいぶん久しぶりだったので、心地よかった。
長居すると身体が冷えてしまいそうな室温だったので、熱いうちに紅茶の三杯目を飲み干して、器の感想を伝えて店を出ると、チェーンの書店に向かった。
1時間くらいは居ただろうか。新書を一冊、「ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論」1巻 松岡圭祐(角川文庫)、「大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした」クルベウ著/藤田麗子訳(ダイヤモンド社)を買った。 今日は素直に頭と心のための癒し本を買った。新書は一応お勉強用。
クルベウの本は絵も素敵で、私だけが忘れがちになることが書いてあるので(この本はとても売れているようできっと色んな人の忘れがちになることが書いてあるのだろう)、ゆっくりしたい時に読もうと思う。とても目にいい本。
寝ていることにも体力を使うので、今日はだいぶ疲れた。これを書いていて上半身の疲労感が大きい。あとちゃんとお風呂に入れました。おめでとう。
kluftrose.iconの34歳家出記録を書こうと思うが、煩雑になるのでnoteの個人ページに書いてリンクを貼ろうと思います。まずはDV、ホームレス保護施設の実情について、私自身の目から見えただけのことを、施設の秘匿性を暴かない範囲で書こうと思う。 疲れているのでわりとよれよれの文章だと思うが、今日はこんな感じでした。
明日もご用事がんばりましょう。
(了)
2022/05/04(水)(2) 翌朝の3:11
かなり遅れてGW飲み会に参加した。
聴覚過敏持ちなので耳疲れを気にしていたが、両隣がいないのをいいことにスピーカーでみんなの話を聞き、みんなが選んだ音楽を聴いて、落ち着いた時間を過ごせた。
22:30から始まる豪華もある。
人とお話しして頭がはっきりしているので本でも読みたいところだけれど、数頁だけ読んですぐに眠ろう。明日起きて一日を過ごせるかな?
(100分で名著と『純粋理性批判』平凡社版届く。かなりの背伸びだがまずは『〜名著』から)
(了)
2022/05/04(水)17:22
両隣どころかアパートの人ほとんどいないのでは、というくらい陽気のいい日だが、朝ごはんを食べて、寝る。
銀座の三越のある場所に警視庁があるという変な夢を見た。
昨日、父より架電あり。非常に珍しいことなのでどうしたのかと思う。連休は帰ってこないのかと聞かれる。父なりに寂しいのかもしれない。納骨について尋ねられるけれど、それは目と鼻の先にいる兄弟に聞いておくれ、と思いつつ、まだなんじゃないか、と推測を話す。伸ばした肩の腱を気遣う言葉をかけてくれ、電話を切る。
なんだか奇妙な気分だった。
夕方、初心者案内VCを聴きながら、桜の花の入ったゼリーをやっと食べた。賞味期限9月! まだひとつ母の簡易仏壇に上げてある。ファミマのフルーツケーキ(パウンドケーキ)をもらって食す。外で小鳥が鳴いていて、母から祖母宅でこれをもらって(実家犬のお仏用)食べた日を思い出す。
もうたぶん、祖母の小さなバルコニーに小鳥が来ることはなくなるのだろうな、とほんの一瞬感傷がよぎる。米撒いたろか!
自分を苦しめる幻想は訪れなくなった。とりあえずよかった。
家にあるカフェオレを飲んでしまわないと、散歩のきっかけがない。7年近く住んでも未だに街のことをほとんど知らない(本屋と図書館と喫茶店は知っている)。
近所で友人を作ればいいのかもしれないが、非常に友人甲斐のない人間なので、あまり気乗りがしない。
今日は散漫としたことを書いた。出掛けたいし何かしたいが、たぶん横になって過ごすんだろうな。血圧84/60あたりで安定して何年か。
(了)
2022/05/02(月)翌朝の4:04
外からなんだかすごく強烈な匂いがする。
なんだか書いていいことと書いてはいけないことがわからなくなっている。
Discordの中で書いたことはある程度のハードルがあるので機械検索に載らないが、アープラノートは普通に検索結果に載る。
時々、ウォッチされるようなことをやらかす私なので、読者に善意ばかり求めていられるのかわからない。
(まあTwitterのビューが二桁な時点で心配ないですしおすし)
それよりなにより人を引きずることを恐れていもする。つまりそういう状態なんだろう。
常に精神的な内的圧力と闘ってきた私にとっては、「健全ってなんぞや」というのはわりと切実な問いだ。
人と常に行動を同じくするような状態は私自身が耐えられないのでしないし(若い頃はむしろ避けられるポジションだったしなあ)、相談を聞いてくれた人にはきちんとお礼は言う。(これが物の返礼となると、相手の好みがわからなすぎて、適当ということができない)
だが私自身が健全かと言えばそうではないと答える。
言葉の定義の問題になってしまった。
でもそこから考えてほしい。
日本語を扱う人なら尚更。
と、他者への要求が過ぎるなあとも思う。
私と論理は程遠い。論理が通るだけでは通らない機微がある。
論理の力がない人間の言葉は、ある一定の人たちには意味を持たない。
あるいはある場では。
まあこんなことが書きたかったわけでもない。
この一日半私を襲っていた記憶の氾濫について、やはり描くのは難しい。できないことではないが、いつも家族のプライバシーさえ、私が割れれば割れてしまうようなことを平気で書きながら、これは赤裸々過ぎるなと思う。
たぶん、書けば理解されてしまうからだ。
分けようのない痛みを、文章は納得させてしまう。
そして別の方向への解釈へと簡単に向かってしまう。(だから5ch探偵の過ちがなくならないわけで。私とは関係ないが、事件関係スレッドを読むと思う)
私が自分の精神を傷つける時、胸の奥に痛みが走る。神経痛のようなものだろう。その時に呼ぶ相手はいない。
それをたぶん「再演」と呼ぶ。
私のそれは無害なほうだ。
実際の身体は傷つかないし、人との関係性にもならない。
ただ、具合は悪くなるし、数時間動けなくなることも多く、自分に対する実害はある。
もう一歩踏み込んで書こうと思ったことをやめる。やはりそれは誤解として解釈される恐れのあることだから。それをファッションとして着込んで生きるほど、私は若くもないし、器用でもない。役割に殺されるのは避けたい。
このことを思う時に連想するのは「1Q84」のあゆみだ。
演じることに治療を求めた時に、それを解釈する人間が演技を本気と取り違えると、ああした事故が起きる。事件? 記憶が刊行時の初読で終わっているので、文庫を読もうかね。「Book3」を読んでいないのであった。
事件後に初めて付き合った彼氏がもうちょっと頭に血が昇る人だったら(充分昇っていたが)私は彼の解釈に裁かれて変な場所に押し込められていたかもしれない。あるいはうっかり死んでいたかもしれない。
直近の元彼氏との関係を考えると、相も変わらず私はただのおしゃべり人形だなと思う。鸚鵡か犬のようなものかな。
不穏なのでこの辺でやめときます。
(了)